売り言葉にラブを

コピーライターなんですが、言葉と女心について語りつつ、本やマンガやアニメのことも

髪は運命を変えるのか

寺山修司の小説「あゝ、荒野」で、主人公のボクサーが言う。

「運のわるい奴も嫌いなんだ。大体、運のわるい女ってのにきれいなのはいないからな。目の下にくまがあったり、髪がざんばらだったり、子供を背負ったりしてよ。・・・・・運のわるい女ってのはみんな腋の下がへんな匂いをしているよ」

言いたい放題である。でも、腋の下の匂いはともかく、他のことはなんとなくわかる。特に髪は、ボサボサしていると不幸せオーラが半端なく出るので気をつけたい。

子どもの大学の入学式に行ったときのことだ。私の前に座っていたお母さんの髪がボサボサで、しかもホコリのようなものがついていた。すごい寂寥感。せっかくの晴れの日なのに、髪くらいとかして、きれいにしてきてはどうなんだろう。一緒にいるダンナも、なんで気がついてとってあげない?そんなに、隣にいる奥さんに関心がないのか?それを見たとき、人ごとながら、なんだかものすごく虚しいようなうら寂しい気持ちになったのを覚えている。やっぱり、不幸せそうな人のそばにいると、自分も不幸せな気分になる。

それに、顔以上に年齢感が出るのが髪だ。ある程度の年齢になると、スキンケアにお金をかけるより、ヘアケアにお金をかけたほうが得策のような気がする。どうせ買うなら、美顔器より高いドライヤー。

しかし、運が悪い人生を送っているから髪がざんばらなのか、髪がざんばらだから運を逃すのか。とにかく、髪をきれいにしている方が、運気はアップすると私は思う。

キャッシュレス社会になってもお賽銭は現金がいい

キャッシュレス社会が来るそうである。

中国や北欧は特に進んでおり、日本に旅行にきた人たちが、エッ現金が必要なの?!と驚くそうだ。

日本は現金主義が根強く、世界の潮流から乗り遅れている。このままでは、ガラパゴス化してしまう。もっとキャッシュレス社会にしなくては!と頑張っている各方面からは、クレジットカードはもとより、電子マネーおサイフケータイ、それにQRコード決済とか、いろいろなサービス提供が目白押し。政府も、企業の生産性の向上につながると、国を挙げてキャッシュレス社会の普及を目指すらしい。現金がなくなる日も近いのかなあ。

ますます、お金が幻に思えてくる。目に見えないけど、どこかにあって、好きなものに変えられる、万能のただの数字。不思議だ。

結婚のお祝いとか、お香典とか、お年玉とか、旅館で仲居さんに渡すお心付けとかはどうするんだろう。ご祝儀袋やポチ袋はなくなってしまうのかな。

結婚式やお葬式では受付でスマホを出して「3万円でお願いします」とか言ってスマホで支払うんだろうか。日本のことだから、そういうときは画面に水引が出たりするのかな。

神社のお賽銭は、ガランガランって鳴らす大きな鈴の下にiPadが置いてあって、みんなそこに自分のスマホを出して思い思いの金額を読み取らせたりするのかな。駄菓子屋でも、子どもがスマホをかざすんだね。

あらゆる驚きが、数年すると常識になってしまうから、いま胸にある違和感はそのときになったらきれいさっぱり消えてしまって、私も躊躇なく何にでもスマホやカードをかざしているんだろう。

この間、区役所の相談窓口で働いている友達とご飯を食べたのだが、そのときに様々な状況に陥っている女性の話を聞いた。

DVで相談に来た女性の話なのだが、夫からカードを1枚だけ渡され、現金というものを1円ももらえないという。望まない、無理やりのキャッシュレス生活である。

ほとんどのスーパーやコンビニなどでカードが使えるので、大丈夫じゃないかと思う人もいるかもしれない。でも、ことはそんなに単純なことではない。カードを持たせるのは、妻が使った明細を逐一チェックすることが大きな目的で、常に使い過ぎであると怒られ、それがDVに繋がるというのだ。こういう目に遭っている人が、最近結構いるらしい。

子どもに、「これで好きなお菓子を買っておいで」って百円玉ひとつ渡せない。そんな生活を、思い浮かべただけで胸が苦しくなる。

キャッシュレスは便利だと思う。ポイントも貯まってお得だし、私もきっと使うと思う。でも、誰かに見張られたり、使い道が全部どこかに垂れ流され、利用されるのは絶対にイヤだ。

500円玉貯金は貯まっていくのが目に見えて楽しいし、お年玉はかわいいポチ袋にお金を入れて渡したいし、お賽銭はご縁がありますようにと50円玉と5円玉を賽銭箱にチャリンと入れたい。日本には、現金が流通する余地を、少しでいいので残してほしいと思うがダメなんだろうか。

ああ、時は金なり

仕事をするのがイヤで、なんとなーく近くにあった「東京タラレバ娘」をパラパラしていたらこんな言葉が。

「人生一生 酒一升 あるかと思えば もう空か」。うわ〜、ダラダラしている私にきつい一言。神様からのお告げか。

昔の人は、いまの私くらいの歳で、多くの人が死んでたんだよなあ。なんとかせねば。本当に、この歳になると空は目の前。人が使える時間は有限なのだ。

子どもが小学生のときのこと。通っていたサッカースクールのコーチが、よそのユースチームのコーチになるということで、練習の最終日に子どもたちにお別れの挨拶をした。みんながんばれ、みたいな普通のことを述べていたのだが最後に「コーチからみんなにこの言葉を贈ります。時は金なり」と言って締めた。小学生男子たちはみんなキョトンとしており、私も若いのに渋い言葉で締めたねと思ったのだが、事情を知ると金言に変わった。

コーチは浦和のユースに所属していたのだが、ケガなどがあり選手はあきらめたそうだ。サッカーは選手生命が短い。思うように試合に出れず、焦る気持ちとは裏腹に、あっという間にピークが過ぎて行く自分を振り返って、しみじみと「時は金なり」と思ったんだと思う。そう思うと、普段は即物的に聞こえていたこの言葉が、目頭が熱くなるほど切実なものに感じるから不思議だ。

あれから何年も経つが、ふとした時、まあ主にダラダラと無為な時間を過ごしている時だが、ケンコーチと呼ばれ子どもたちに慕われていたあのコーチの声が聞こえてくる「時は金なり」。

プロレスにプロ社長が就任

新日本プロレスにプロ経営者がやってくると、今朝の日経新聞に載っていた。オランダ生まれのハロルド・メイさん。外資系メーカーでマーケティングを担当し、ユニリーバ・ジャパンではリプトンの販売を担当、日本コカ・コーラではコカコーラゼロをヒットさせ、タカラトミーではリカちゃんの販売をテコ入れ、老舗復活に導いたという。こんなプロ中のプロが、新日本プロレスの社長に!

ブシロードの子会社になってからというもの、快進撃が続いていたが、いっそうすごいことになりそうだ。

小さい時からプロレスが大好きだった。私が小さい時は、まだアントニオ猪木ジャイアント馬場がタッグを組んでいたが、どちらかというと馬場が主役。常に不満のマグマを胸にたぎらせていた猪木は、日本プロレスを飛び出し新日本プロレスを旗揚げした。日本プロレスも紆余曲折を経て全日本プロレスになったわけだが、私は断然、黒いパンツの新日派だった。まあ、馬場とブッチャーの戦いも好きだったけど。

猪木が全盛の頃は、本当にプロレスを見るのが好きで好きでたまらなかった。毎週金曜日の夜8時、私は赤いタオルを首に巻き、弟と「猪木ボンバイエ!」とテレビの前で叫んでいたものだ。

東京に出てきてからは、会社にプロレスファンが数人いたこともあって、よく一緒に後楽園に見に行った。生のプロレスは面白かったなあ。リングサイドはもちろん迫力満点で興奮MAXなのだが、立ち見の2回席も意外と楽しい。一人で見ている人も多く、「おおっとそうきたか。よっしゃ!キマった!天下の宝刀延髄斬り!」などと独り言実況をしているおじさんなどもいる。

しかし、この頃は、すでに猪木の時代は終わっていいて、前田日明長州力の跡目争いなどで不穏な空気が漂っていた。

前田日明が新日をやめて立ち上げた、UWFが脚光を浴び一大ブームとなる中、猪木はどんどんダメになり、そのうえブラジルで起こした事業アントンハイセル大失敗で選手にファイトマネーも払えない状態でグダグダ。テレビ放送もなくなってしまった。

私はストーリー性のある“プロレス”というものが好きだったので、前田のUWFに興味が持てず、そのままプロレスも見なくなってしまった。

ところが、数年前から棚橋や中邑がでてきて、またプロレスが面白くなってきた。女性ファンも多く、「プ女子」として話題になっている。

ちなみにこの本オススメです。

プ女子百景 (ShoPro books)

プ女子百景 (ShoPro books)

 

ハロルドさんはどんな手を使ってプロレスをさらに盛り上げるのだろうか。プロレスが日経新聞の記事になるなんて、いったいいつ以来なんだろう。っていうか、記事になったことがあったのだろうか。どんなことになるのか、楽しみである。

飲んだら書くな、書くなら飲むな

俳人風狂列伝」という本を読んでいるのだが、まあ、どの人も壮絶なまでにお酒を飲み、体を壊し、崩れていく。

俳人風狂列伝 (中公文庫)

俳人風狂列伝 (中公文庫)

 

俳句に詳しいわけではないのだが、中学の教科書に載っていた尾崎放哉の「咳をしても一人」「入れものが無い両手で受ける」を読んで、その孤独に圧倒された。

尾崎放哉は東京帝大の法学部を卒業し、一流企業で働いていたのだが、酒癖が悪く色々やらかしてしまい、しかも俳句への思いも強く退社。その後は、孤独で極貧な流転の日々を送ることになる。無一文になると、昔いた会社に乗り込み、かつての同僚や部下の名前を威丈高に呼んで酒代を脅し取ったこともあるらしい。

別れた妻と会ったとき、妻は遠いところを見るような潤んだ目で「ねえ、待ってらっしゃいよ。昔のようにあなたは大きな会社の重役さん、それから二人は人力車に乗って・・・きっとそういう日がまたくるわ」と楽しげに言ったそうだ。もちろん、そんな日は2度と来ず、ただただ句を作り続け41歳で亡くなる。

11人の俳人が書かれているのだが、みんな壮絶な人生。グダグダな人ばかり。なのに、言葉は山の湧き水のように澄んでいる。

そういえば、「汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる」と書いた中原中也も酒癖が異常に悪く、みんなに嫌われ、めちゃくちゃに飲んで30歳で死んでしまった。あんなにきれいな詩を書くのに。

しかし、昭和の文豪のみなさんは、本当に大酒飲み。みんな、ガブガブ飲みながら小説を書く。一晩でウイスキー1本空とかザラ。坂口安吾太宰治たち戦後無頼派の人たちはそれにプラス、ヒロポン睡眠薬も加わる。なのに、どうしてあんなにちゃんとした文章が書けるんだろう。不思議でならない。

ずっと前は、広告業界にもたまに無頼な人がいて、日が暮れるとお酒を飲みながら打ち合わせをする人がいたが、だんだん話がグダグダになって迷惑この上なかった。

私は、飲むと頭がぼんやりして、考えることが面倒臭くなるし、仕事なんかはもちろん全然できない。翌朝見たら、書いたものはただの無茶苦茶である。やはり、天才というのは精神が違うんだろうなあ。

凡人の私は、恥をかかないためにも、飲んだら書くな、書くなら飲むなを心がけて生きている。

テレビの時代に

テレビが大好きだった。子どもの時は、何時間でも見ていられた。

私が2、3歳の頃、母親は買い物などでちょっと出かけたいときは、私を必ずテレビの前に座らせておいたそうだ。用事を済ませて帰って来ると座らせておいた場所から1ミリも動かずちょっと首をかしげた感じの同じポーズでテレビを凝視していたらしい。

リスペクトする、消しゴム版画家でコラムニストの故ナンシー関さんは、お家がお商売をされていたらしく、子どもの頃はテレビの前にダンボール箱を置き、その中に入れられていたという話を何かで読んだ覚えがある。なんだか、とても近しいものを感じる。

我が家ではテレビ視聴に関するルールは何もなく、見放題であった。夕方の5時に遊んで帰ると、子ども向けのアニメやマグマ大使などの実写の番組を再放送している。7時になると新作のアニメが始まる。

大好きなボクシングやプロレスに手に汗握り、ゲバゲバ90分ドリフ大爆笑など、PTAが蛇蝎のごとく嫌っていたバラエティで爆笑し、夜遅くにやっていたメロドラマで大人の世界に触れた。岩下志麻浅丘ルリ子が、小学生当時の私のミューズ。

関西では土曜日の午後はすべてのチャンネルがお笑い番組。午前中で学校が終わると飛んで帰って、急いでお昼を食べ、テレビの前に寝転んでゲラゲラ笑って能天気に過ごしたものだ。

昭和のことなので、ビデオなどという便利なものはなく、番組のすべてが一期一会。テレビは一家に1台で、何を見るかは大変な大問題だった。どんなにお風呂に入れ、宿題をしろと言われても、テレビの前から離れられない。そのおかげで勉強はイマイチで、いらない知識ばかりが身についた。

今はどうだろう。ほとんど録画か、TVerか、アマゾンのプライムビデオ、そしてYou Tube。テレビをモニターと呼ぶ子どもも多いらしい。テレビブロスからテレビ欄がなくなるはずだ。

あの頃のテレビ番組も懐かしいが、家族全員が1台のテレビの前に集まって一緒に座って見ていたあの感じが、ちょっと涙ぐみそうになるほど懐かしい。京都で一人で暮らしている母親は、今日も一人でテレビを見ていることだろう。明日は母の日、忘れないように電話をしなくては。

中高時代の写真がない

レフ板のついたノートがあることを知った。

エムプラン リングノート レフ板付き カラード カラード グリーン 220417-10

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SNSの写真映えへの願いは果てしない。女子たちが、レフ板でまばゆい光を自らに照射し、自撮りしている姿が眼に浮かぶ。カフェで可愛いスイーツを撮るときも、ノートレフ板をテーブルにおいて、撮影しているのであろう。

私はいろんなところに写真をアップする習慣がないので、ごはんを食べに行っても、すぐむしゃむしゃと食べてしまう。友達が写真を撮っていると、「早く食べようよー」とつい急かしてしまうのだが、レフ板なんか出して照明にまでこだわりだしたら、空腹のときはキレそうである。

そんな写真好き女子がいっぱいの昨今だが、私たちの中学高校時代は、当たり前だがカメラを持ち歩く人などおらず、自分の写真というものが本当にない。あるのは、ケータイで写真が撮れるようになった、歳とってからのものばかり。

この間も高校時代の友達と、私たち写真が全然ないねという話になった。修学旅行の写真もない。荷物になる、めんどくさいと、誰もカメラを持ってきていなかったのだ。だって、この頃はフィルムだしね。持ってきてしまうと、現像もしなきゃいけないし、みんなにフォトブックを回し、欲しいものに印をつけ、枚数分を焼き増しする。あー、めんどくさい。かさばるカメラを持っていった挙句に、帰ってからも大変。これでは誰もカメラを持っていかないだろう。

中高生になると、親と旅行もいかなくなるし、写真を撮る機会というものがなく、中高時代の写真は卒業アルバムのみである。

卒業アルバムの団体写真って、かわいくないんだよねー。いちばんキャピキャピしていた時代の写真がないというのは、本当に残念である。いいなあ、いまのJKたちは。いつでも写真三昧。しかも、修正で盛り盛り。

もし私がケータイのある時代にJKであったなら、きっとこのレフ板ノートを常に持ち歩き、友達とカワイイ写真を撮りまくったことであろう。そして老女となったとき、茶飲み友達と「これ昔の私―」と写真を見せ合い、「わーイケイケだねー」などと語り合っていたことであろう。実に残念である。