売り言葉にラブを

コピーライターなんですが、言葉と女心について語りつつ、本やマンガやアニメのことも

私の一人暮らし

一人暮らし、というと

生まれ育った京都から、

東京に来た頃のことを思い出す。

時はバブルが幕を開ける頃。

すごくワクワクして来たのに、

最初はいいことが何にもなくて

つまらなかった。友達もいないし。

会社が終わり、電車に乗って、

駅に着いたらコンビニに寄って、

ビールとお弁当と、

スピリッツとかフィールヤングとか、

なんかマンガを買って帰る。

わ〜、ほんとうにつまらない。

かわいそう、若いときの私。

もう少しで人生上向くから、

もうちょっとガマンしてがんばれっと

あの頃の自分に声をかけてあげたい。

会社があるのは銀座だったのだが、

夜、有楽町あたりにある高いビルの

上に行くと、きらめく街の明かりの中を

新幹線が走っているのが見える。

乗って帰りたい。友達がたむろってる

木屋町あたりで派手に飲みたーい。

ううっ、0系のひかり号が涙でかすむ。

まあ、一人暮らしあるあるなのだが、

東京に来てしばらくすると、実家から

お米とか食べものが入ったダンボール箱が

送られて来た。そこには、母親からの

がんばるんだよみたいなことが

書いてある手紙と

1万円札が1枚入っていた。

その当時、うちは別に貧乏では

なかったので、北の国からの、

五郎が純にしわくちゃで

泥つきの1万円札を渡した、

みたいな感動のお話ではなく、

もちろん普通のピン札で、母にしても、

これでおいしいもんでも食べなさい

くらいの軽い気持ちだったと思うのだが、

一人でおセンチになっていた私は感動し、

キレイに折りたたんでお財布に入れた。

これを、一生のお守りにしようと。

その翌日、

会社の先輩に誘われて飲みに行き、

中央線の終電車でぐっすり寝込み、

ハッと気がつくと高尾山!

ええっ!どうすんの?周辺真っ暗闇だし!

はい、お母さんからの1万円札は1日で

タクシー代になりました。

というような日々を送っていたあの頃

大好きだったテレビブロスが、

大幅にモデルチェンジするそうだ。

番組表がなくなるという。

あの番組表は見やすかったのに。

下の方にあったミニコラム、

ナンシー関さんが書いていた

「ブロス探偵団」は珠玉だった。

テレビ誌に番組表が不要になる。

時は流れるなあ。