売り言葉にラブを

コピーライターなんですが、言葉と女心について語りつつ、本やマンガやアニメのことも

片付かない部屋で、幸田文&森茉莉を思う

 

ああもう、仕事部屋が散らかり過ぎ。

本やらマンガやらがあふれかえり、

さらにこの部屋は

家の納戸と化しているため、

普段使っていない、扇風機、スーツケース、

さらに息子が幼児だったときに愛でていた

ぬいぐるみ、ウルトラマンの人形なども

散乱している。パソコンと

プリンターが乗った仕事机の上にも

資料の紙束が積み上がり、

鼻セレブ1箱を置くのが精一杯。

自分の名誉のために言っておきたいが、

他の部屋はきれい。というか、

他をきれいにしたいがために

この部屋を犠牲にしているといえる。

ミニマリストのみなさんなら、

人形の祟りとか言ってないで

躊躇せずぬいぐるみを捨てるんだろうなあ。

こんな気分のときいつも思い出すのが、

幸田文森茉莉

幸田文さんは、大文豪の父、幸田露伴

ほうきの使い方から

雑巾掛けの仕方まで事細かく指導され、

毎日毎日家中を磨き上げてきた人だ。

文章もスッキリしてまったく無駄がない。

老後、一人暮らしになったとき、

「呑気になるより先に、

えらく身辺のアラが目立って」と

いっそう美しく潔い暮らしを心がける。

この人の暮らしのストイックさときたら、

生半可なミニマリストとはワケが違う。

憧れなんか通り越して畏敬の念を感じる。

そして、この対立軸にあるのが、

贅沢貧乏の森茉莉さんだろう。

同じく大文豪の森鴎外

おマリは上等、と可愛がられて育ち

桁外れに浮世離れ。

この人の一人暮らしの部屋には、

独自の美意識で選ばれた

大好きな空き瓶やらかけたグラスやら

雑誌の切り抜き写真やらが散乱、

いやディスプレイされ、

気分はパリのアパルトマン。しかし、

掃除しないから床にはキノコが生え、

古新聞や雑誌が地層になり、

タケノコが生えていたと言う話もある。

もう、どちらも凄過ぎて誰も及ばない。

この二人を思い浮かべると、

まあいいか、平凡な人間はこんな感じでと

平凡に散らかった部屋で

心静かに仕事にはげめるのであった。