売り言葉にラブを

コピーライターなんですが、言葉と女心について語りつつ、本やマンガやアニメのことも

テレビの時代に

テレビが大好きだった。子どもの時は、何時間でも見ていられた。

私が2、3歳の頃、母親は買い物などでちょっと出かけたいときは、私を必ずテレビの前に座らせておいたそうだ。用事を済ませて帰って来ると座らせておいた場所から1ミリも動かずちょっと首をかしげた感じの同じポーズでテレビを凝視していたらしい。

リスペクトする、消しゴム版画家でコラムニストの故ナンシー関さんは、お家がお商売をされていたらしく、子どもの頃はテレビの前にダンボール箱を置き、その中に入れられていたという話を何かで読んだ覚えがある。なんだか、とても近しいものを感じる。

我が家ではテレビ視聴に関するルールは何もなく、見放題であった。夕方の5時に遊んで帰ると、子ども向けのアニメやマグマ大使などの実写の番組を再放送している。7時になると新作のアニメが始まる。

大好きなボクシングやプロレスに手に汗握り、ゲバゲバ90分ドリフ大爆笑など、PTAが蛇蝎のごとく嫌っていたバラエティで爆笑し、夜遅くにやっていたメロドラマで大人の世界に触れた。岩下志麻浅丘ルリ子が、小学生当時の私のミューズ。

関西では土曜日の午後はすべてのチャンネルがお笑い番組。午前中で学校が終わると飛んで帰って、急いでお昼を食べ、テレビの前に寝転んでゲラゲラ笑って能天気に過ごしたものだ。

昭和のことなので、ビデオなどという便利なものはなく、番組のすべてが一期一会。テレビは一家に1台で、何を見るかは大変な大問題だった。どんなにお風呂に入れ、宿題をしろと言われても、テレビの前から離れられない。そのおかげで勉強はイマイチで、いらない知識ばかりが身についた。

今はどうだろう。ほとんど録画か、TVerか、アマゾンのプライムビデオ、そしてYou Tube。テレビをモニターと呼ぶ子どもも多いらしい。テレビブロスからテレビ欄がなくなるはずだ。

あの頃のテレビ番組も懐かしいが、家族全員が1台のテレビの前に集まって一緒に座って見ていたあの感じが、ちょっと涙ぐみそうになるほど懐かしい。京都で一人で暮らしている母親は、今日も一人でテレビを見ていることだろう。明日は母の日、忘れないように電話をしなくては。