売り言葉にラブを

コピーライターなんですが、言葉と女心について語りつつ、本やマンガやアニメのことも

飲んだら書くな、書くなら飲むな

俳人風狂列伝」という本を読んでいるのだが、まあ、どの人も壮絶なまでにお酒を飲み、体を壊し、崩れていく。

俳人風狂列伝 (中公文庫)

俳人風狂列伝 (中公文庫)

 

俳句に詳しいわけではないのだが、中学の教科書に載っていた尾崎放哉の「咳をしても一人」「入れものが無い両手で受ける」を読んで、その孤独に圧倒された。

尾崎放哉は東京帝大の法学部を卒業し、一流企業で働いていたのだが、酒癖が悪く色々やらかしてしまい、しかも俳句への思いも強く退社。その後は、孤独で極貧な流転の日々を送ることになる。無一文になると、昔いた会社に乗り込み、かつての同僚や部下の名前を威丈高に呼んで酒代を脅し取ったこともあるらしい。

別れた妻と会ったとき、妻は遠いところを見るような潤んだ目で「ねえ、待ってらっしゃいよ。昔のようにあなたは大きな会社の重役さん、それから二人は人力車に乗って・・・きっとそういう日がまたくるわ」と楽しげに言ったそうだ。もちろん、そんな日は2度と来ず、ただただ句を作り続け41歳で亡くなる。

11人の俳人が書かれているのだが、みんな壮絶な人生。グダグダな人ばかり。なのに、言葉は山の湧き水のように澄んでいる。

そういえば、「汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる」と書いた中原中也も酒癖が異常に悪く、みんなに嫌われ、めちゃくちゃに飲んで30歳で死んでしまった。あんなにきれいな詩を書くのに。

しかし、昭和の文豪のみなさんは、本当に大酒飲み。みんな、ガブガブ飲みながら小説を書く。一晩でウイスキー1本空とかザラ。坂口安吾太宰治たち戦後無頼派の人たちはそれにプラス、ヒロポン睡眠薬も加わる。なのに、どうしてあんなにちゃんとした文章が書けるんだろう。不思議でならない。

ずっと前は、広告業界にもたまに無頼な人がいて、日が暮れるとお酒を飲みながら打ち合わせをする人がいたが、だんだん話がグダグダになって迷惑この上なかった。

私は、飲むと頭がぼんやりして、考えることが面倒臭くなるし、仕事なんかはもちろん全然できない。翌朝見たら、書いたものはただの無茶苦茶である。やはり、天才というのは精神が違うんだろうなあ。

凡人の私は、恥をかかないためにも、飲んだら書くな、書くなら飲むなを心がけて生きている。