売り言葉にラブを

コピーライターなんですが、言葉と女心について語りつつ、本やマンガやアニメのことも

他力でGO‼️

日本代表がポーランド戦で最後の15分攻撃をせず、ただボール回しをして、もう一方の試合の結果、つまり「他力」に頼って決勝トーナメントに駒を進めた。というようなことで、ここ数日「他力」という言葉が、多くのメディアで飛び交っている。

だが、「他力」と言えば、私にとっては親鸞聖人の教えである。

私は京都女子高校という学校を卒業しているのだが、ここは浄土真宗西本願寺が経営している学校だ。なので、講堂には大きな仏壇のようなものがあり、週1回の朝礼ではまず南無阿弥陀仏を唱えるし、これまた週1回ある宗教の時間では仏さまや親鸞聖人のことを教えてもらう。私は物珍しくて、この宗教の時間が大好きだったが、そこで知ったのが、「他力本願」である。

中でも感動したのが、親鸞聖人の死後、弟子唯円が書いた「歎異抄」の中にある“善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや”という言葉。イイネ!100連打したいくらい感動。

この言葉がある章で語られているのは、阿弥陀様は、愚かでダメな悪人たちを救うと誓いを立てられているから悪人は救われるんだけど、善人は自分が善を積んでるからって余裕こいてるでしょ。だからダメなんだよ。もっと謙虚な気持ちで阿弥陀さまにおすがりしなきゃ。どうせ人間の腹の中はどす黒いんだから、ちょっとくらい善行積んでも極楽浄土へ行けませんよ。というような話(ほんとか?)なわけだが、あさはかな女子高生は、悪いことしてもOK!いい子ちゃんクソ喰らえ!南無阿弥陀仏って言ってればなんでも許すぜ!ああ、なんてすごいアナーキー、さすが末法の世、親鸞サイコー!と短絡的に感動したわけだ。

しかも親鸞聖人は、当時の仏教界のタブーをぶち破って妻帯している。

六角堂にこもって修業しているときに観音様が現れて、「どうしても女体なしで生きていけないなら私が美しい女身となってお前に犯されてやろう」と言ったそうだ。これは、性欲に絡め取られて修行が進まないんだったら、いっそ妻を娶って命がけで精進しろという天のお告げ。親鸞聖人は、仏教界の猛烈な反発も恐れず勇気を出して奥さんをもらった。うーん、破天荒。そう、目的達成のためには反発なんて恐れてる場合じゃない!

鎌倉時代末法の世の宗教家たちのエネルギーはすごいね。「他力」上等!

というようなことで、「他力」と聞くたびに、親鸞聖人のことを思い出してしまい、日本代表が出家したかのような気分。西野監督にいたっては、親鸞上人に見えてきた。

次のベルギー戦では、もう南無阿弥陀仏を唱えるしかない。ベルギー、めちゃくちゃ強そうだしね。