売り言葉にラブを

コピーライターなんですが、言葉と女心について語りつつ、本やマンガやアニメのことも

昭和の台所

私は昭和のお母さんに育てられた、平成生まれの子どもを育てる、平成のお母さんなんだなということをふと思う。

ネットが発達し、誰もがケータイをあたり前のように持つこの時代は、自分の子ども時代とあまりにも違いすぎる。

もうすぐ平成も終わり、次はなんという元号かわからないが、自分の孫は平成の次の世代である。

まあ、どの世代も時代が違うと思いながら子育てをしてきたんだとは思うが、なんか改めてしみじみと感じ入ってしまった。

すべてがキャッシュレスになる社会もすぐそこまできている。孫ができたら、お年玉はケータイのお小遣いアプリみたいなのに入れるのかな。

そういえば、昭和の冷蔵庫って、中にラップをかけたお皿がやたら入っていた記憶がある。そのほとんどは、晩ごはんの残り物で、たいてい私の嫌いな野菜の煮物だった。私と弟、兄弟揃ってあまり箸をつけないので、そのまま冷蔵庫行きとなるのである。

しばらく、ご飯のたびにそのお皿が目の前に出されるが、やはりあまり食べず、冷蔵庫は煮物の墓場とかしていくのである。

私は、残ったおかずはタッパーに入れるので、ラップをかけたお皿を冷蔵庫に入れることはあまりない。今はほとんどの人がそうなんじゃないだろうか。

だから、昭和のお母さんというと、いつも冷蔵庫にぎゅうぎゅうに詰め込まれた、あのラップをかけたお皿を思い出す。

子供の頃、中途半端な時間にお腹が減ると、自分で冷蔵庫からラップのかかったお皿を適当に出し、炊飯器に保温されたご飯をお茶碗によそい、コンロに置きっ放しになっているお鍋に入ったお味噌汁を温め直した。

今、平成の母である私は、ラップのかかったお皿を冷蔵庫に入れていないし、コンロにお鍋を出しっぱなしにしたりしない。

キッチンは、いつもすっきりと片付いた状態になっている。

昭和の台所のように、お醤油や味の素やのりがテーブルの上に出しっぱなしになってもいない。

だから、うちの子どもは勝手に何かを食べたいと思ったときは、冷凍庫に買い置きしてある冷凍チャーハンやカップ麺を食べたりする。お味噌汁はあさげである。

私がいるときは、ちゃんとご飯を作っているわけで、冷凍チャーハンが悪いと思ってもいないし、片付いていないごちゃごちゃの台所にしたいとはこれっぽっちも思っていないんだが、ときどきあの昭和の食卓の風景を思い出し、漂うお味噌汁の匂いが懐かしくなる。

まあ、母のところに帰れば、いまでも台所はカオスなので、すぐに昭和を味わえる。冷蔵庫の中には、数は減ったが相変わらずラップのかかったお皿が入ってるしね。