売り言葉にラブを

コピーライターなんですが、言葉と女心について語りつつ、本やマンガやアニメのことも

じっと見て揚げるトンカツはおいしいらしい

今日は何を書こうかなーとメモを見ていたら、去年ネットで見つけたある女性のこんな話が出てきた。(古い話ですみません。でもこれ、すごく共感したんだよなあ)

その女性が、懇意にしている美容師さんが、「夫にトンカツを揚げてと頼んだのね〜。私だったら、揚げてる間にちょっとキャベツ切って皿用意してーって隙間で別家事やるんだけど、男の人ってずーっとカツだけ見てるじゃない。だから、ちょうどいい具合に揚げるのよ。上手いのよ!」と言ったそうだ。そこで、なるほど!と目からウロコが滝のように落ちたそうである。

その女性の旦那さんも料理を頼むと、カツが揚がるまで、じっとフライパンの中を凝視しているだけ。自分だったら、その間に洗い物とか済ますのにと不満だったそうだ。しかし、うまく揚がるなら、ずーっと経過を見ていたほうがいいよなあ〜と思い直した。

「ごはん作りの最終目的地が美味いじゃなくて、早く片付けるになってたんだな私。少しやり方変えよ〜と思いました。」ということだ。

http://buzzmag.jp/archives/139279

このツイートを読んで、自分もだなあとしみじみ思った。とにかく、時間がないので、使ったお鍋などを高速で洗いながらどんどん作ってゆく。何かを茹でたり、焼いたりしているときは、必ず洗い物。作り終わった時には、流しに何もない状態。それはそれで、あとがとにかく楽だし、それでいいとは思っているんだが、やはり、ここだ!という絶好のタイミングを逃していることは多々ある。

やはり、料理は美味しいを目的に作らないと、餌になっちゃうよね。

しかし、夫の家事というのは、大変ありがたいし、とても助かるんだが、ここをもうちょっとやってくれたら・・・惜しいっ!と思うことがよくある。洗濯を干してもらうと、パンパンしないのでタオルの下の方がシワシワと固まっていたり。

私の友達は、夫が洗い物をした後、いつも流しのまわりがビショビショに濡れたままで、それなのに、どうだ手伝ってやったよ、みたいなドヤ顔でいられるのに腹が立つと言っていた。しかし、ともかく家事を一緒にやってくれるだけマシである。

この話も、最初に読んだときは、美容師さんが夫の家事の不器用さについてグチを言うのかと思ったら、「上手いのよ!」と喜んでいるのだ。仲良しなんだろうなー、ここのご夫婦は。見方を変えてみるって大事だ。

三日坊主は人間の本能らしい

この春からの私の目標は「続ける」である。三日坊主どころか1日でやめてしまうことも多い、病的なほどに何も続かない私だが、このブログは始めて以来1日も休まず続いている。トイレ掃除もほぼ毎日、サボったのは数日だけ。すごいぞ!

そして、今週月曜日から始めたのが、朝のゆるーい筋トレ。簡単なストレッチをして、スクワット20×2、四つん這いでの腕立て伏せ20、ヒザたててちょっと背中を持ち上げるだけの楽な感じの腹筋20×2、体幹20秒×2で、計15分くらいかかるかなあ。運動が苦手な私にとってはこの程度で十分きつい。こんなもので腹がへっこむとは思えないが、気は心である。まだたった3日目なのでなんとも言えないが、ぜひ続けたい。

こうやって、やってますよ!と宣言することが続けるモチベーションになる、はずである。

面白いネット記事があった。

https://newspicks.com/news/3028806

明治大学の教授で友野典雄先生という方が言っているのだが、どうやら三日坊主は人間の本能らしい。人の意思決定は、理性よりも感情に左右されている。感情が大きくて強い象で、理性は小さくひ弱な象使いのような関係で、だいたいが像に振り回されて象使いが負けてしまう。だから、象使い(理性)がダイエットしようと思って何かを計画しても、像(感情)の快を求める欲求にはなかなか太刀打ちできないんだそうだ。

なるほどね。私はかなりパワフル&ビッグな像を飼っていると思われる。

そこで、像をコントロールするためのテクニックの例として、「決めたことを宣言する」「目的のためにコストをかける」「記録とフィードバック」「代替報酬をえる」というようなことが書かれていた。

ということで、いま私は会う人ごとに、ダイエットを今度こそ成功させると宣言している。しかし、これまでに何度もダイエット宣言をしているため、聞いた人たちはみんな苦笑いである。いや、今度こそホントだから。

フェイスブックを読んで憂鬱になったことについて

今日、危険なタックルをした日大の選手が記者会見をした。

そうすると、「指示するのはもちろんバカだけど、それを真に受けてやるのもほんとにバカだよな〜・・・20歳つったら立派な成人だし。盲目的な人間を育てるのがスポーツっていうんならそんなのいらないですね」とフェイスブックに書き込んでいる人がいた。なんか、ムカついた。

訳知り顔で、選手をバカとか、スポーツなんていらないなんて言わないでほしい。

知ったようなこと言ってんじゃないよ!バカって言う奴が一番バカなんだよ!って書き込もうかと思ったけど、私もいい歳をした大人なので、ガマンした。

これを書いたのは、仕事で少し接点があっただけでよく知らない音楽関係の人なんだが、絶対にスポーツに興味のない人だと思う。腰の低い優しそうな人なのに、自分に関係ないとすぐ、こういう残酷なことを平気で書く。

音楽も絵も踊りも映画も小説も、文化的なクリエイティブにも感動するが、同じようにスポーツにも大きな感動がある。

私は運動音痴でまったくスポーツができないが、見るのは大好き。サッカーも野球もフィギュアスケートも卓球も柔道もボクシングもテニスもマラソンも体操も、とにかくなんでも見たいし、何を見ても楽しい。

あの技やスピードを出すためには、どんなに過酷な状況を受け入れ、辛い努力をしてきたんだろうといつも思う。

私も子どもを育てていて、十分おもい知っているのだが、20歳なんてまだまだ子どもである。強豪校で辛い練習を耐えている青年が、この努力を水の泡にしたくない、試合に出たいと、思いつめたことは十分想像できる。

そして、この日大の青年は、試合に出たくて指示を実行した弱い自分が一番悪いと言っている。アメフトもやめるそうである。

ケガをした関学の選手の方はほんとにかわいそう。なぜあんなひどいことを。親なら被害届けを出すのは当たり前だ。

でも、関係ない他人がなぜ、日本中に顔を出して、謝罪する青年に、「バカだよな〜」とかエラそうに言えるんだろう。

フェイスブックは数年前に始めたが、私はほとんど参加していない。時々見るだけ。なんとなく感じるのだが、リベラルで文化系の人って、こういう時事ネタになると、なぜかみんな上から目線なんだよなー。

裸体考察

温泉や健康ランドに行くと、当たり前だが多くの裸の女性を見ることになる。体というのは千差万別、みんな違ってみんないいのだが、たまに、これは神が創りたもうた芸術か!と驚くほどビューフルなナイスボディに出会うことがある。

そんな美しい裸を目の前にすると、女の私でもほうっと見惚れ、思わず手を合わせてありがたやありがたやと拝みたくなる。やはり、美しいものを鑑賞するのはいいものだ。

きのう行った健康ランドにも、とても美しい体をした人がいて、ええもん見せてもろたあと、思わず心の中で手を合わせたものである。

そして、ナイスボディの人は、総じて肌もきれいでツヤツヤしていることが多い。やはり普段から、自分の一番の武器を磨き上げているのであろう。実にうらやましい。

昔は、女性の見た目を決めるものとして「一髪二化粧三衣装」などと言っていたが、素を基準にするならば「一髪二肌三体」であろう。これが、男性目線になると一の髪と三の体が逆転するのかもしれない。

でも、美人はいつも顔をみんなに見せられるからいいが、ボディはなかなか見せる機会がない。まあ服を着ていても、そこはかとなくわかるんだが、あまり体を強調した服装をしていると下品とか言われそうだし。ナイスボディなみなさんは、夏に堂々と水着になるのがうれしいんだろうなあ。

あと、ヌード写真を撮りたくなったりしないんだろうか。私だったら、年をとってから見返したいかも。

それと、たとえばだが、顔は普通で地味な女の子とそんなに期待せずになんとなくつきあってみたら、ものすごくナイスボディだったというような場合、男子は宝くじに当たったような気分になるんじゃなかろうか

ナイスボディとまったく縁のない私は、健康ランドの湯に浸って様々な女体を見ながら、ただただ想像するばかりである。

Xが寝起き顔を認証しない

えっとですね、私のケータイは今、不人気で評判のiPhone X

ずっと使っていた6のバッテリーがダメになったので、昨年の暮れに買い替えた。8でもよかったんだが、どうせなら最新のテクノロジーに触れてみるかと思いXにした。

ご存知の通り、顔認証である。眼鏡をかけていてもちゃんと認証するし、なかなか優秀である。寝顔でもOKなので、ダンナが寝ているときに顔にかざして盗み見する人がいるという話もよく聞くところだ。

しかしこのX、今朝、二日酔いの私の寝起き顔を認証しなかったぜ!

ちょっとコレはどうなの?このメカったら、失礼じゃない。

状況としては、まず目覚め、寝転んだまま腹ばいでケータイ画面を見る、ということなんだが、下からうつった顔が相当にたるみ、また寝起きのむくみと相まって、まるで別人となってしまったということか。

確かに、鏡をあご下あたりに持ってきて、上から見下ろすと、自分と思えない、思いたくもない顔がうつっている。だから、自撮りするときは、反対にケータイを頭の上にかざして、上目遣いで撮るのが鉄則だ。

そのたるみにプラス、飲んだためのいっそうのむくみ、寝不足でより深まったゴルゴライン。ボサボサの髪。さすがのXちゃんも識別できなかったか。

ここ何日か、日中はパソコンの前に座ったきりで、夜になると飲んでしまい寝不足というよくない生活が続いている。むくみと疲れを取るためにも、今日は近くの健康ランドに行って温泉に浸かり、早く寝よう。

メカのくせに失礼なんて言ったけど、Xちゃん、ブスになってるよって教えてくれてありがとうー。

関西の最終電車を待つホームは楽しいらしい

仕事でよく東京に来る京都の友達が、東京に来て最終電車を待つホームが静かでびっくりしたと言う。

「そやかて、最終ゆうたらほとんどの人が酔っ払いやで。なんでみんな黙ってられんのん?」「夜の駅でもみんな真面目な顔してサッサと歩いて、朝の通勤と変わらへんやん」と言うのだ。

関西では、一人で電車を待っていても見知らぬ同士、ペチャクチャおしゃべりすると言う。「ウソやん。東京やとキモチ悪がられるで」と言うと、「知らんおっちゃんとかが、なんぞおいしいもんでも食べてきやはったん?とか聞いてきはるで」「うん、桜色のええ顔色になってよろしいなあ、とかな。」とその場にいた関西出身者みんながそうそうと激しく同意していた。

関西では最終電車を待つホームは、それはそれはにぎやかなんだそうだ。まあ、渋谷とか新宿とかは、学生の団体がいるとうるさいこともあるが、他人同士でにぎやかにしゃべると言うのは、東京暮らしが長い私にはにわかに信じがたい光景だ。

しゃべりかけてくるおっちゃんたちは、もちろんナンパなどではない。ただただ、おしゃべりなだけ。酔った風情の話しかけやすそうなおばちゃんがいると、これ幸いと話かけてくるのだろう。そして、話しかけられたおばちゃんも話好き。酔ってなくても関西人は声が大きいので、まあにぎにぎしい感じなるのであろう。楽しそうだ。

その昔、私がまだ若かった頃の関西では、女子だけでいると、男の子がそれはもう条件反射のように必ず「べっぴんさんばっかりやなあ」と声をかけてきた。今でもそうなんだろうか。

わずらわしいときもあるが、カジュアルで明るいあの空気を、無性に吸いたいときがある。次に帰る日が楽しみだなあ。

着物警察なるものがあるらしい

テレビで見たんだが、着物警察と呼ばれる人たちがいるらしい。

街中で着物を着ている女性の着こなしをみて、「帯がゆるんでいる」「羽織の色と着物の柄が会ってない」などとその場で注意する人たちのことだ。いや、おせっかいにもほどがある。どうかしてるんじゃないだろうか。本当に存在するのか、そんな人。

私も詳しいわけじゃないが、着物には色々細かいルールがある。季節によって着る柄が決まっていたり、柄に格付けがあったり。でも、ルールなんか全然知らない若い人が、自由に着て面白がれないと、着物に未来はないだろう。

それに、昔の人でもそんなにルールに縛られた着こなしをしていたんだろうか。そんな格式ばった着物を着ていたのは、「今日は三越、明日は帝劇」みたいな一部の上流階級のマダムだけなんじゃないだろうか。当時だって、若い人は冒険した着こなしを楽しんでたんじゃないかな。

私は着物を自分で着ることもできないし、成人式の時の晴れ着以外着たことがないような人間だ。でも、もう少し歳をとって気持ちに余裕ができたら着てみたいな、という着物への憧れはある。だから、もし着物警察に捕まったらすごく落ち込むだろうし、そんなこと想像もしたくない。着物だって、昔は誰でも着ていた普段着なんだから、誰がどう着たっていいじゃないか。

私の魂の師匠、幸田文さんの書いた着物やおしゃれに関するエッセイはどれも秀逸なんだが、そこに

「伝統を鵜呑みにすれば、昨日を今日にもちこむだけだ。固定してしまった観念からは新鮮は生まれない」とある。

いい言葉だなあ。着物警察なんて、バカヤローおとといきやがれって感じだ。